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2026.07.10 Teacher's Voice-鶴高の先生にインタビュー

【Teacher's Voice】鶴高の先生にインタビュー#5【国語科 村山先生】

【Teacher’s Voice】#5:心の「ざわつき」をそのままに

 

教員のリアルな想いや日常をお届けする連載企画「Teacher’s Voice」。第5回となる今回は、本校の国語科教諭であり、演劇部顧問、そして東京高校演劇連盟の事務局長など数々の要職を務める村山先生にお話を伺いました。

たまたま出会った演劇の世界から、独自の「生徒創作」へのシフト、そして日本大学芸術学部(日芸)をはじめとする芸術系進学への熱いサポートまで、一言も聞き逃せない濃密なインタビューを余すことなくお届けします。


偶然の出会いから始まった、演劇と文学への足跡

インタビュアー(以下、──):まずはざっくりと、先生のこれまでの来歴や、ここに至るまでの足跡についてお聞きしてもよろしいですか?

村山先生(以下、村山): はい。高校生の時に、本当にたまたま演劇部に入ったのがすべての始まりでした。実は、高校生活では特に目標も持たず、何もせず過ごすつもりだったのです。中学校の頃は運動部に入っていまして。

 

── え、そうなんですか? それは意外です!

村山: よく意外だと言われます(笑)。だけど高校に入って何をやろうかなと考えていた時、たまたま昇降口を出たら、変な人たち3人くらいに囲まれまして。「あれを見ろ!」と言われてパッと見上げたら、屋上で『演劇部』という看板を持っている人がいたのです。それを見て「少し怖いな……」と思いながら見学に行ったのがきっかけでした。入ってみたら、当時は少しやんちゃな生徒たちの溜まり場のような雰囲気だったのですが、それも含めて面白そうだなと感じてやり始めました。最初はいわゆる役者ではなく、音響や照明などの裏方を担当していたのです。そのうちに地区大会があり、そこですごく面白い作品に出会いました。「これは!」と衝撃を受けたのですが、その作品はそのまま全国1位にまで登り詰め、今や高校演劇界で伝説の作品と言われています。あの時にその作品を間近で観られたことは、今振り返っても本当に不思議なご縁であり、お導きだったのだなと思います。

── 伝説の作品が、そんな身近な場所にあったのですね。その大会はどちらだったのですか?

村山:東北の、福島のいわきでの大会です。当時は大人の顧問の先生が台本を書いていたので、生意気だった私たちは「そんなものは高校演劇じゃない!」などと言って、顧問の先生のところへ意見を言いに行ったりしていました。……まあ、今は自分が脚本を書いている立場なのですけれどね(笑)。

── 高校を卒業されてからは、すぐに演劇や文学の道へ進まれたのですか?

村山: いいえ、高校3年間は演劇やバンド活動に熱中していたものの、卒業時は何の目的もないままで、フリーターのような形で浪人生活を送っていました。特に目標もありませんでしたからね。一応、母校の高校の隣に、受験に再チャレンジする人たちが通う自習室のような場所があり、そこに惰性で通っていました。授業などはなくただ自習をするだけの場所だったのですが、そこにもあまり通わず、アルバイトばかりしていたのです。そんな時に大怪我をしてしまい、入院することになりました。その入院先にバンドの先輩が来てくれて、「本を持ってきたから読みなよ」と置いていってくれたのです。それまであまり本を読んだことがなかったのですが、読んでみたら非常に面白くて。「あ、私はこういう分野の勉強がしたいな」と、そこから本格的に勉強を始めました。スタートとしては遅かったですね。

── ちなみに、それは何という本だったのですか?

村山: 今でもよく覚えているのですが、石田衣良さんの『池袋ウエストゲートパーク(IWGP)』です。

── そうだったのですね! 私も大好きな作品です。

村山:あともう一冊、金城一紀さんという方の『レボリューションNo.3』。その2冊を持ってきてくれて、読んだら本当に面白かったのです。それで「こういうことを勉強したい」と母校の先生に相談し、文学を学べる大学を目指して受験しました。受験勉強に励み、ご縁あって日本大学(日大)の国文学科へ進学することになりました。

── 「こういうのを勉強したい」というのは、物語の創作や文学への興味だったのですね。

村山:創作への興味もありましたし、純粋に「文学って面白いな」と感じたのです。そこからは本当に、驚くほどたくさんの本を読みました。夏目漱石や芥川龍之介といった近代文学や江戸時代の文学を読み漁っていたので、一般的な受験勉強としては遠回りだったのかもしれませんが(笑)、大学、大学院に進んでからもとにかく読み続けました。ただ、大学時代は演劇はほとんどやっていなかったのです。先輩から「ちょっと手伝いに来てくれないか」と声をかけられて2回ほど裏方を手伝ったくらいで、当時は落語の専門的な研究などをしていました。やはり、昔から「言葉を使った表現」そのものが好きだったのだと思います。そうして大学院まで進学しました。

── そこから教員の道へ進まれたのは、どのような経緯だったのですか?

村山:たまたま大学院の資料を取りに、日大の国文学科の大学院室へ行った時のことです。資料を整理していたら、顔見知りの先生がふわっと来られまして。「どうも」と挨拶を交わしたら、「君、教員免許持っているよね?」と聞かれたのです。「はい、持っています」と答えると、「実は、明大前にある日大鶴ヶ丘という学校で急に欠員が出てしまってね。明日にでも行ってほしいんだけど、知ってる?」と言われまして(笑)。その距離にいたにもかかわらず、当時は鶴高のことを全然知らなかったのですが、教員経験もないまま「まあ、やってみようかな」と飛び込んだのが最初でした。


「生徒創作」と「あて書き」がつむぐ、演劇部の新たな歴史

── それで本校(日大鶴ヶ丘)の専任教諭になられて、ついに演劇部に関わるわけですね。

村山:いえ、最初は野球部の顧問を任されまして、その後もアメフト部やスキー部など、色々な部活動を担当していました。その当時、演劇部は部員が誰もいない、いわば「コールドスリープ状態」だったのです。そんな中、「演劇をやりたい」という生徒が2人現れました。その時、当時の上野先生がたまたま私に「村山くんって学生時代に何をやっていたの?」と声をかけてくださり、「高校演劇をやっていました」と答えたら「それは意外だね」という話になりまして。上野先生が校長先生に「村山が演劇をやっていたらしいですよ」と伝えてくださり、校長先生も「じゃあ村山に任せよう」と言ってくださったことで、演劇部を復活させることができました。

── 復活への大きな一歩ですね。

村山:本当にありがたいことでした。そこから少しずつ部員も増えていきました。最初は市販されている既成の台本を上演していたのですが、ピークを過ぎた3年目くらいに、部員が3人ほどに減ってしまった時期があったのです。人数の関係で既成の台本を選ぶことも難しくなり、生徒たちから「村山先生、台本を書いてもらえませんか」と頼まれました。「少し書いてみるか」と思って私学大会に向けて書いた作品が、ありがたいことに賞をいただくことができたのです。「それならもう少し挑戦してみよう」と今度は都大会へ進みました。実は本校の演劇部は、20〜30年以上前の全盛期、米本先生という偉大な顧問の先生がいらした頃、毎年のように全国大会に出場しており、今でも「全国最多出場記録」は日鶴が持っているのです。

── 全国最多出場が日大鶴ヶ丘なのですか!

村山:そうなのです、最多出場校なのです。高校演劇の大会は非常に厳しくて、まずは地区大会で16校のうちの2校に入らなければならず、都大会でも各地区から集まった強豪の中からさらに2校、そして関東大会でも2校……と絞られ、最終的に全国大会に出場できるのはわずか12校しかありません。その中での最多記録ですから、本当にすごい歴史を持った部活なのです。ただ、その先生が退職されてからは都大会にすら行けない時期が続いていました。それが、ちょうど運良く私が顧問の時に都大会へ行くことができ、そこから一気に弾みがつきました。「日鶴の演劇部が復活したのなら、韓国公演にも行ってみないか」と声をかけていただき、韓国公演にも行かせていただきました。現地の学生たちと交流する中で、「人を笑わせたい、感動させたい」という芸術に対するひたむきな姿勢を、身に染みて学びましたね。そうこうしているうちに、トントン拍子で全国大会まで行くことができたのです。

 

── 素晴らしい実績ですね。そこから現在のスタイルへどのように変化したのですか?

村山:全国大会を経験して、ふと思ったのです。「大人が書いた作品を、生徒たちがただ忠実に演じるだけでは面白くないのではないか。これからは生徒創作(生徒が脚本を書くこと)で頑張って全国大会へ行けたら、それが一番かっこいいじゃないか」と。全国大会に出場する作品のほとんどは大人が書いたものですからね。そこから生徒創作のスタイルに切り替えて5年ほど経ちますが、現在は3代目の生徒(2年生の男子)までその歴史と情熱が紡がれていまして、今年も良いところまで行けるのではないかと期待しています。

 

── 脚本を書く生徒たちは、演出専門で役者はやらないのですか?

村山:いえ、役者を兼任することもあります。私がマンツーマンで指導するというよりは、非常にフランクに会話をしながら、「人ってこういう言葉遣いをするよね」などとアドバイスを送り、添削を重ねて一緒に作り上げています。

 

── 先生が以前脚本を書いていらした時、その生徒のキャラクターに合わせた「あて書き」をされているとお聞きして、素晴らしいなと思っていました。「あなたにはきっとこういう役が合う」「あなたにこのセリフを言わせてみたい」と演出家から言われるのは非常に名誉なことですし、自分でも気づかなかった新しい自分を見つけてもらえる素敵な経験だと思います。それが現在は「生徒創作」という形で生徒同士のあて書きに受け継がれているお話に、深く感動しました。

 

村山:伝統として、生徒同士であて書きを受け継いでくれています。「あて書きで作った方が、作品に血が通う」と伝えているのです。

 

── 本当にそうですね。普段の教室内ではおとなしい生徒が、舞台上で殻を破って素晴らしい声を張り上げたりするギャップに驚かされることがよくあります。本校において、演劇部は非常に重要な「表現の魂」を担っていると感じます。0から1を生み出すことが難しい時代に、それをのびのびとやってのけている演劇部は本当にかっこいいです。

村山:いえ、本当にすごいのは彼ら、生徒たち自身なんですよ。私はただ、その環境を整えているだけです。

▲演劇部の練習風景。のびのび、自由に表現する生徒たち。村山先生のお人柄を感じました。


芸術の世界へ挑む生徒たちと伴走する

 

── 演劇部の活動において、大会で「勝つこと」についてはどのように捉えていますか?

村山: 実は、生徒たちには「大会で勝ちたいとはあまり言わないでほしい」と昔からずっと伝えています。賞というものは、ある種の運のようなものですからね。そもそも、芸術という分野で優劣を競うこと自体が非常に難しいことなのです。ゴッホが好きな人もいれば、ピカソが好きな人もいる。どれが正解ということはありません。

── 確かに、個人の価値観や好みに左右される世界ですね。

村山:そうなのです。ですから「自分たちの作った作品が一番良い」と誇りを持っていれば、それで十分なのです。私自身、現在は高校演劇の審査員を務めることもあり、全国各地からお声をかけてもらっています。全国大会では審査員係もしてます。審査員はプロの演出家や俳優や脚本家の方ばかりですが、どれほど素晴らしい作品が並んでも、最後に優劣をつけなければならない時は、どうしても個人の領域になってしまう部分があります。だからこそ、生徒たちにも「審査員の評価は運や好みの問題でもあるから、結果を気にしすぎるな。神様が『今回は行きなよ』と言ってくれたら進めるものだから」と言い聞かせています。

 

── 中学生がイメージする演劇は、有名な既存の台本をみんなでオーディションして演じるという形が多いと思いますが、実際はもっとクリエイティブで自由な世界なのですね。

村山:そうですね。現役の高校生が自ら脚本を書いている学校は全国的にも非常に珍しいので、そこはぜひ知っていただきたい強みです。全国大会などの上位に上がってくるのは、やはり長年の経験と言葉のセンスを持った大人が書いた作品が多いため、生徒創作で評価されるのは容易なことではありません。だからこそ、そこに挑戦する価値があると思っています。

 

── 演劇連盟などの要職も数多く務められているとお聞きしました。

村山: 現在は、東京の高校演劇連盟の事務局長や、全国組織の事務局にも入らせていただいています。東京や関東の代表として、全国の様々な意見を調整する役割なのですが、純粋に「高校生たちがもっと面白い表現をできる環境を作りたい」という目的だけで動いています。おかげで自分の学校の業務が回らなくなりそうになることもありますが(笑)。

 

── 信頼されている証拠ですね(笑)。でも先生であれば、そうした多忙な業務の中からも、新しいアイディアや面白いことを見つけ出されそうです。

 

村山: おっしゃる通り、日々のすべての経験がアイディアの源泉になっています。例えば先日、東京芸術劇場の方とワークショップの企画で行ったやり取りの中で、「効果音の作り方」という面白い手法を学びました。たらいに水を張ってこんにゃくを叩くと水面のパチャパチャという音になったり、フライ返しを勢いよく振ると剣が交わる「シャキン!」という音になったりするのです。これが非常に面白くて、先日の新人大会の芝居で早速取り入れました。舞台の横にその音を出すスペースを作り、役者が「痛い!」と演技をしている横で、別の生徒がキャベツをギューッと潰して骨折の「バキバキ」という生音を響かせる、という演出です(笑)。

 

── 新しい発想のオーケストラピットのようですね! そのような研ぎ澄まされたアンテナがあるからこそ、面白いものが生まれるのですね。


鶴高から日芸へ──「繋ぐ」存在

 

──今回ぜひ深く伺いたいのが「芸術学部への進学サポート」についてです。本校の日本大学芸術学部(日芸)への進学者数は付属校の中でも非常に高い実績を誇っていますが、実技試験もあるため、生徒にとっては緊張感のある挑戦です。その中で「芸術進学といえば村山先生」という大きな信頼がありますが、日芸との繋がりはいつ頃から始まったのですか?

 

村山: 演劇部の顧問になり、付属校が集まる日大大会を通じて、日芸の教授陣と直接お話しする機会が増えたことがきっかけです。色々と貴重なお話を伺ったり、親睦を深めたりする中で、大学側が求める生徒像や入試の背景などを深く知ることができるようになりました。今では演劇学科の先生方と顔見知りですし、他学科の先生や事務の方とも繋がりをいただいています。大学側からも「日鶴は歴史的に芸術に強く、たくさん受験してくれる大切なお得意さん」として意識していただけています。また、演劇の仕事を通じて、第一線で活躍されているプロの方々とも多くのコネクションができました。プロの劇作家さんや演出家さん、またメディア関係の方々など、第一線のプロの方々から伺った「リアルな現場の声」や「求められる心構え」を、受験を控えた生徒たちにそのままフィードバックできるのが私の強みです。

 

── 受験生にとっては、これ以上ない心強いアドバイスですね。

村山:さらに、10年以上の顧問生活の中で卒業生のネットワークが蓄積されています。例えば「将来、音響の仕事がしたい」という生徒がいれば、実際にプロの音響として現場で活躍している卒業生とZoomを繋いで、直接アドバイスをもらえる環境も整えています。こうした経験や実技・総合型選抜の書類の書き方をマニュアルとして今まとめているのですが、やはり最後に必要なのは、マニュアルを読んでも分からない部分を一緒に突き詰めるのが私の役割なのだと感じています。プロの世界と繋がりながら、脚本や演技、芸術進学の指導ができる教員は、他の付属校を見渡してもなかなかいないのではないかと自負しています。

── 表現や芸術、あるいは文学の道に進みたいと考えた時、どうしても周囲から「それで食べていけるのか」「もっと潰しが効く進路の方が良いのではないか」とストップがかかってしまうこともあると思います。才能に不安を覚えて諦めてしまう生徒もいる中で、村山先生の存在や「鶴高からこれだけ日芸に進学している」という実績は、彼らにとって大きな光になっていますね。

 

村山:私は、この世の中にとって芸術やアートは、弱っている人の心を救うために絶対に不可欠なものだと思っています。ただ、芸術の道は決してお金がかからないわけではありませんし、枠も非常に狭い、厳しい世界であることも事実です。100人が役者を目指して、1人も残れないという世界ですからね。だからこそ、誰でもウェルカムだと無責任に言うのではなく、高い目標に対して「自分もそこへ行って良いんだ」と背中を押し、芸術側の景色を見せてあげるエレベーターのような存在でありたいと思っています。

 

 

── 生徒の適性や本気度を、頭ごなしに否定するのではなく、一緒に考える時間を大切にされているのですね。

村山:もちろん頭ごなしに否定することは絶対にしません。総合型選抜のエントリーシート指導でも、「まずはこれを真剣に考えて書いてごらん」と少し高めのハードルを提示します。そうすると、生徒自身が「先生、私はそこまでの覚悟ではなかったかもしれません。少し違う道を探します」と自分で気づくことがあります。最初から「芸術なんて無理だよ」と切り捨てる大人には絶対になりたくありません。一度真剣にその道を検討した上で、納得して自分の進路を選べる環境があることこそが、この学校の何よりの強みだと思います。


中学生へのメッセージ:心の「ざわつき」を持ったままおいで

 

── 最後に、この記事を読んでいる中学生の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

村山:なんだろうなぁ……。中学生の頃って、何か明確な理由がなくても、心がなんとなくザラザラしたり、ざわざわしたりしていると思うのです。何かにイライラしたり、あるいは何かに強く惹かれたり。その、自分でも正体が分からない「ざわついた気持ち」を、ぜひそのまま、私たちの学校に持ってきてほしいなと思います。

── 「ざわついたままで良い」というのは、とても救われるメッセージですね。

村山: 進路なんて、最初から決まっていなくて当然ですからね。ざわついたまま入学して、この付属校の少しゆったりとした時間の中で、そのざわつきの正体を探していけば良いのです。日大鶴ヶ丘には、私のように芸術の分野に特化した教員もいれば、語学や国際交流に強い先生、スポーツに熱い先生など、本当に多様な大人が揃っています。

 

── ざわつきを抱えたまま高校生活を過ごす中で、その正体に気づいていく生徒も多いのですね。

 

村山:はい。色々な経験をする中で進路活動が進み、「あ、私が本当にやりたかったのは文化人類学だったんだ」と気づいたり、「自分ってこういう人間なんだ」と発見できたりして、自然と心のざわつきが解けていく生徒がたくさんいます。ですから、悩みやざわつきを無理に解消しようとせず、そのまま持ってきてください。日鶴で、私たち個性豊かな教員陣が皆さんの挑戦を待っています。

 

── 村山先生、本日は本当に貴重で素敵なお話をありがとうございました!


編集後記

「中学生の頃の、心のざわつきをそのまま持ってきてもらいたい」という村山先生の言葉が、深く心に響くインタビューでした。

一見、敷居が高く遠い世界に見える芸術や自己表現の世界。それを頭ごなしに否定せず、同じ目線に立って「本当にその敷居を越えたいか、一緒に考えてみよう」と伴走してくれる温かさとプロフェッショナルな繋がりが、日大鶴ヶ丘の進学実績、そして演劇部の圧倒的な強さの理由なのだと感じました。

自分の内側にある言葉にならない「ざわつき」を形にしてみたい皆さん、ぜひ日大鶴ヶ丘でその正体を探してみませんか?次回もお楽しみに!(広報担当)

 

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