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2026.05.27 Teacher's Voice-鶴高の先生にインタビュー

【Teacher's Voice】鶴高の先生にインタビュー#3【英語科主任 山内先生】

【Teacher's Voice】鶴高の先生にインタビュー#3【英語科主任 山内先生】

「ユメのチカラと、出すぎた杭。」

英語を通して、生徒と一緒に夢を見る

英語科・山内先生インタビュー

広報部がお届けする専任教員インタビュー企画「Teacher’s Voice」。

今回は、英語科主任として鶴高の英語教育を支え、国際交流プログラムにも深く関わる山内先生にお話を伺いました。

 

母校である鶴高に戻り、教壇に立ち続けてきた山内先生。

その原点には、「教員になりたい」という中学生の頃からの思いと、海外での経験、そして何よりも「鶴高が好きだ」というまっすぐな気持ちがありました。

 

英語を教えること。

生徒の夢を一緒に見ること。

そして、自分らしくあり続けること。

 

インタビューの中で何度も感じたのは、山内先生の言葉の奥にある“情熱”でした。

 

「出る杭は打たれる。でも、出すぎた杭は柱になる」

 

その言葉の中には、山内先生自身の歩みが重なっていました。


▶ 教員を目指した原点は、サッカーと部活動

「先生になりたいと思ったのは、中学生くらいの頃だったと思います」

山内先生が教員を志したきっかけは、学生時代に打ち込んでいたサッカーでした。

「ずっとサッカーをやっていたので、サッカーに関われる仕事がないかなと思っていました。そう考えたときに、一番身近だったのが部活動で、部活動といえば学校。そこから教員という道が自然に出てきたんです」

高校受験の面接でも、「教員になりたい」と話したという山内先生。

当時は中学校の英語教師をイメージしていたそうです。

 

鶴高時代には、先生たちの言葉や振る舞いを見ながら、「自分だったらどう言うだろう」「どう関わるだろう」と考えることも多かったそうです。

「他の仕事をあまり考えたことがなかったんです。教員になるんだと思って学生生活を送っていました」

 

迷いながら選んだというより、“自然とそこへ向かっていた”。

そんな言葉が似合う進路でした。

 

▶ 英語は「夢」ではなく、「扉」だった

英語科の先生というと、最初から英語そのものに強い憧れがあったように思われがちです。

しかし山内先生は、「最初はそうでもなかった」と笑います。

 

「英語は、最初は目的というより手段でした。教員になるなら、どの教科にしようかなと考えたときに、英語だったんです」

そんな山内先生の中で、英語への見方が大きく変わったのが、高校時代の修学旅行でした。

当時の鶴高の修学旅行先は、中国・北京。

現地の高校生と交流する機会があったそうです。

 

「日本語を話す自分と、中国語を話す相手が、英語なら会話できる。その時に、『うわ、英語って本当に伝わるんだ』って思ったんです」

 

特別に高度な会話ではなくても、言葉が通じる。

気持ちが伝わる。

その体験は、“教科としての英語”を、“人と人をつなぐ言葉”へと変えていきました。

 

「違う国の人と話せる。英語ってすごいんだなって心から思いました」

 

▶ カナダで見つけた、「教える」という覚悟

大学卒業後、山内先生はすぐに教壇へ立ったわけではありません。

当時、すぐに先生として働き始める予定ではありましたが、そのまま教師になることに迷いがあったといいます。

 

「海外経験がないまま、本当に自信を持って教壇に立てるのかなと思ったんです。一度教員になったら、なかなか海外には行けない。だから、行くなら今だと思いました」

 

そうして渡ったカナダ・バンクーバー。

TESOL(英語教授法)を学び、語学学校で世界中から集まった学生を相手に教育実習も経験しました。

 

「英語を英語で教える環境だったので、“英語を使う”ことが自然だったんです」

 

さらに、プログラム修了後には、自ら学校側にお願いをし、ティーチングアシスタントとして残ることに。

授業サポートだけではなく、教材管理や事務作業まで、さまざまな仕事を経験しました。

 

「まだここにいたら、もっと伸びる気がしたんです。教員になるという夢の力が自分を突き動かしました。」

 

その働きぶりは高く評価され、現地で正式に働かないかという話まであったそうです。

それでも、山内先生は日本に戻る決断をします。

 

「自分は何をしにカナダへ来たんだろうと思ったんです。英語の教員になるためだったよなって」

 

海外で働くという魅力的な道も選べましたが、“学校の教員になる”という原点を選んだ山内先生。

その選択には、まっすぐな覚悟がありました。


▶ 「ここ以外ない」――母校・鶴高へ

帰国後、山内先生が目指したのは、母校・鶴高でした。

「教員になれればよかったわけじゃないんです。日鶴の教員になりたかった」

 

その言葉には、一切の迷いがありません。

始業式や修了式で校歌を歌うたび、今でも胸が熱くなるといいます。

 

「校歌を歌うと、毎回ジーンとこみあげてくるんです。戻ってきたんだなって。」

 

卒業生として過ごした学校に、教員として戻る。

その感覚は、普通の“職場”とは少し違います。

 

「目の前にいるのは生徒なんだけど、生徒じゃないんですよね。自分もここで過ごしたから、どこか“同士”みたいな感覚があるんです」

 

説明会などで中学生や保護者と話す時間も、「すごく幸せ」だと山内先生は言います。

 

「自分の好きな学校を紹介できるって、嬉しいですよね」

 

“好き”という言葉を、山内先生は何度も口にしていました。

 

鶴高が好き。

鶴高の生徒が好き。

だからこそ、この場所に立ち続けているのだと感じます。

 


 

▶ 英語科は「連邦制」

現在、英語科主任を務める山内先生。

英語科をどんなチームだと思うかを尋ねると、返ってきたのは少し意外な言葉でした。

 

「連邦制ですね」

 

それぞれが自分の個性やスタイルを持ちながら、同じ方向を目指している。

そんな意味だそうです。

 

「英語力を伸ばしたいという大きな目標は共通しています。でも、そこへの登り方は人それぞれでいいと思うんです」

 

表現することを重視する先生。

話すことを重視する先生。

世界的視点を伝えたい先生。

 

英語科の先生たちは、それぞれ色が違います。

 

「パーソナリティってすごく大事だと思うんです。ああしなさい、こうしなさいだと、その人の武器が消えてしまう。だから、一人ひとりの個性を大事にしてほしい」

 

自由でありながら、互いを尊重し合う。

その空気感が、鶴高英語科の魅力なのかもしれません。


▶ “Be Professional”と、「噺家であれ」

英語科の会議資料には、山内先生が繰り返し書いている言葉があります。

 

“Be Professional.”

そして、もう一つ。

「噺家であれ」

 

この言葉について尋ねると、山内先生は少し笑いながら、こう語ってくれました。

 

「どれだけ良い教授法やテクニックを持っていても、相手に“聞こう”と思ってもらえなければ、届かないと思っています」

 

授業は、一方通行ではありません。

 

話し方。

テンポ。

声のトーン。

間。

立ち位置。

視線。

空気づくり。

 

そのすべてが、“授業”をつくっている。

 

「自己満足じゃだめなんですよね。相手がいることなので」

 

だからこそ、“噺家であれ”。

 

ただ説明するのではなく、相手を惹き込み、言葉を届ける存在であれ。

その思いが、この一言には込められています。

 

さらに、“Be Professional”という言葉には、教師としての厳しさも込められていました。

 

「教員って、免許を取ればなれるんです。でも、それだけじゃまだ素人と同じです」

 

病気を治せない医者が“本物の医者”ではないように、英語の力をつけさせられない英語教師は、本当の意味でプロではない。

 

「英語を教えるプロとして、ちゃんと力をつけさせてあげないといけない。それは、自分への戒めでもあります。だから私も勉強会に参加したり、他校の先生方と情報を交換して、常に教師として成長したいと思ってます。」

 

一方で、その“プロフェッショナル”という言葉には、スキルだけではない意味も含まれていました。

 

「どれだけテクニックがあっても、生徒との信頼関係がなければ伝わらないと思うんです」

 

生徒と向き合うこと。

言葉を届けようとすること。

相手の反応を見ながら、空気をつくること。自分自身こそが、向上心を持ち学び続けること。

 

その全てが、“教師”という仕事なのだと感じさせられました。


 

▶ “ユメタン”がくれた、英語教師としての本当のスタート

鶴高の英語学習を語るうえで欠かせない存在の一つが、英単語帳『ユメタン』です。

 

朝の小テスト。

授業中の帯活動。

そして夏の恒例行事「燃え盛る真夏のユメタンカップ」(全校生徒参加の英単語コンテスト!)

 

鶴高生にとって、“ユメタン”は日常の一部になっています。

 

しかし山内先生にとって、ユメタンは単なる教材ではありません。

そこには、自身の英語教師としての転機ともいえる出会いがありました。

 

「ユメタンの著者である木村達哉先生との出会いは、本当に大きかったです」

 

いわゆる“キムタツ先生”として全国的に知られる木村先生。

山内先生は、セミナーで初めて木村先生の話を聞いたといいます。

 

「それまで予備校のセミナーなどにも参加していました。でも、どこか『違うな』って感じ始めていた時期だったんです」

 

そんな中で出会った木村先生。

 

「この人だ、と思いました」

 

もちろん、英語の教え方も学ぶことばかりだった。

けれど、それ以上に心を動かされたのは、“人としての在り方”だったと山内先生は語ります。

 

「英語をどう教えるかだけじゃないんです。教員としてどうあるべきか、人としてどう生きるべきか、そういう部分を強く伝えてくれるのが木村先生です」

 

その出会いは、山内先生自身の授業や英単語指導の考え方も大きく変えていきました。

 

「英単語帳というと、どのように授業で扱えばいいのかわからず“週に一回テストをするもの”という存在でした」

しかしユメタンを通して、“単語を活動の中で身につける”という考え方に出会います。

 

声に出す。

音声を聞く。

反復する。

テンポよく身体を使いながら覚える。

 

そうした活動が、今では鶴高英語科の一つの文化になっています。

 

「今では多くの先生方が、ユメタンを使った帯活動をやってくれています。それは英語科としてもすごく大きいと思います」

 

ユメタンは、山内先生にとって単なる英単語帳ではありません。

 

授業に光が射した。英語科に方向性を生んだ。

 

ユメタンは、木村先生をはじめとする“人との出会い”を運び、“Be Professional”にも、“噺家であれ”にも通じる、

山内先生の「教師としての在り方」を大きく変えるきっかけとなった存在なのかもしれません。

 


▶ 「夢は、生徒の夢を一緒に見ること」

英語教師としての夢を尋ねたとき、山内先生は少し考えてから、こう答えました。

 

「生徒一人ひとりが夢を持っていて、その夢を一緒に見ることが、追い続けることが、自分の夢なのかなと思います」

 

卒業しても、生徒はずっと教え子。

その思いは、今も変わりません。

 

ある卒業生から、大学卒業後に久しぶりに連絡が来たことがあったそうです。

 

高校時代は英語が得意ではなかったその生徒。

しかし大学生になってから、外国籍スタッフの多い環境でアルバイトを始め、英語を使う中で価値観が大きく変わっていったといいます。

 

「海外旅行に一人で行くようになったり、インターンに積極的になったり。高校時代に見ていたあの子が、こんなふうに変わるんだって感動しました」

 

卒業したあとも、生徒たちは先生を驚かせ続ける。

 

「出会った生徒の数だけ、こっちの夢も増えていくんですよね」

 

その言葉が、とても山内先生らしく感じられました。


▶ 海のむこうで、生徒は変わる

山内先生は、オーストラリア・ニュージーランド語学研修やイギリス・ブライトン研修など、鶴高の国際交流プログラムにも深く関わっています。

 

「行く前と帰ってきた後で、生徒が本当に変わるんです」

 

最初は緊張して、ホストファミリーともぎこちなかった生徒たち。

しかし、日を重ねるごとに少しずつ現地の生活に馴染んでいきます。

 

そして最後のフェアウェルパーティー。

 

ホストファミリーへの手紙を読みながら、涙を流す生徒たちの姿があります。

 

「別れって、美しいんですよね。泣けるって、すごく重みのあることだと思うんです」

 

言葉がうまく伝わらない。

文化も違う。

でも、だからこそ相手を理解しようとする。

 

その経験が、生徒たちを大きく成長させます。

 

「海外に行くと、“自分の当たり前”が当たり前じゃないって気づくんです。自分の生きている世界が、いかに狭いかって。」

 

英語力だけではなく、視野や価値観が広がっていく。

それこそが、海外研修の一番の意義なのかもしれません。


▶ 「また行きたい」と思える場所へ

― ブライトン研修に込めた思い

鶴高の国際交流プログラムの中でも、イギリス・ブライトン研修は少し特別な立ち位置にあります。

 

この研修は、高校卒業後から大学入学までの期間を活用して行われるプログラム。

山内先生は、その立ち上げから関わってきました。

 

「卒業式から大学入学まで、1か月くらい空くじゃないですか。そこで海外研修ができたらいいんじゃないか、というところから始まりました」

 

当時すでに、オーストラリア・ニュージーランド語学研修はありました。

一方で、夏休み中の参加が難しい生徒もいます。

 

「忙しい部活動をやっている生徒たちが、卒業後なら挑戦できるっていうのは大きかったと思います」

 

研修先として選ばれたのが、イギリス・ブライトン。

初年度の参加者は、わずか2人だったそうです。

 

しかし、回を重ねるごとに少しずつ参加者が増えていきました。

 

山内先生の中で特に印象に残っている生徒もいます。

 

ある卒業生は、とても充実した時間を過ごして、約1年後に自分で再びブライトンへ渡ったそうです。

 

「“もう一回行きたい”って、自分で語学学校に申し込んで戻ったんです」

 

また別の卒業生は、ブライトン研修をきっかけに海外にはまり、大学時代にお金を貯め、イギリスで1か月部屋を借りながらサッカー観戦をして過ごしたのだとか。

 

「やっぱり、一回外を見ると変わるんですよね」

 

高校卒業直後というタイミングだからこそ、感じられるものがある。

山内先生はそう語ります。

 

「卒業したあとって、もう心身ともに大人じゃないですか。だからこそ、感じるものも大きいと思うんです」

 

 “海外に行くこと”が特別ではなくなる。

新しい世界は、自分の人生を豊かにしてくれる。

 

ブライトン研修は、そんな未来への扉を開くきっかけになっているのかもしれません。


 

▶ 「出すぎた杭は、柱になる」

最後に、山内先生が教員生活を過ごす中で胸に抱くようになった言葉を教えてくださいました。

 

「出る杭は打たれる。でも、出すぎた杭は柱になる」

 

周りと違ってもいい。

自分の信じることをやり切れ。

中途半端ではなく、突き抜けろ。

 

山内先生自身、その思いを胸に教員人生を歩んできました。

 

「人と違うって素晴らしいと思うんです。だから、いろいろ言われることもありました。でも、自分が描いていた教員像を曲げたくなかった」

 

その姿は、きっと多くの生徒たちの背中を押しているはずです。

 


 

▶ 教室に並ぶ、歴代のクラス写真

インタビューの最後、山内先生がふと話してくれたのが、教室に飾ってある歴代のクラス写真のことでした。

 

毎年のクラス写真を、山内先生はずっと教室に飾っています。

 

「大掃除や入試の時に、一回ちゃんと片付けるじゃないですか。その時に、写真を見ながら“元気かな”って思うんです」

 

卒業した生徒たち。

今、大学で頑張っている生徒。

社会に出て働いている生徒。

 

教室に並ぶ写真は、山内先生にとって、過去ではなく“今も続いている存在”なのかもしれません。

 

そして、こんな話もしてくれました。

 

「いつか、みんな一斉に集まんないかなって思うんです」

今の生徒たちと、十数年前の卒業生たち。

それぞれが大人になって、また同じ場所に集まる。

 

「面白いと思うんだよね」

 

そう笑う山内先生の表情は、とても嬉しそうでした。

 

卒業して終わりではなく、卒業してからも続いていく関係。

それはきっと、“生徒が好き”という言葉を、本気で大切にしている先生だからこその景色なのだと思います。

 

「まだ飾ってるよって、卒業生にも伝わったらいいですよね」

 

その言葉には、長い時間をかけて積み重ねてきた、山内先生と鶴高生たちの物語が詰まっていました。

 


 

▶中学生へのメッセージ

「私は日鶴が大好きだし、日鶴の生徒が大好きです。

皆さんも、好きだ、と思える高校を見つけて、それが日鶴であれ別の高校であれ、向上心を絶やさず幸せな高校三年間を過ごしてください。

 

日鶴が好きだと思う、そんな皆さんを待っています。

 

鶴高で逢いましょう。


▶編集後記

今回のインタビューで印象的だったのは、山内先生が何度も「好き」という言葉を口にしていたことでした。

 

鶴高が好き。

生徒が好き。

英語が好き。

人と人がつながる瞬間が好き。

 

その“好き”が、山内先生の行動力の源になっているのだと思います。

 

カナダへ飛び込んだ若い頃の挑戦も、英語教育への情熱も、これまでに出会った生徒たちを見守る姿も、すべてそこにつながっていました。

 

そして何より印象的だったのは、「夢は、生徒の夢を一緒に見ること」という言葉です。

 

卒業してもなお、生徒の人生を応援し続ける。

ユメの力を信じ続ける。

 

その姿勢こそが、山内先生という教師の魅力なのかもしれません。

 

 

Teacher’s Voiceを通して、鶴高のあたたかさや、人と人との距離の近さが少しでも伝われば嬉しく思います。

 

 

☆鶴高の充実した国際プログラムのまとめページはこちら。山内先生が引率するオーストラリア語学研修の様子も見られます!

国際交流 こんなにたくさんあるんです

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